三山開設2周年記念オフ会レポート・ゆめこ編
(2003年2月1日)その2・完


明日香村ではない飛鳥を歩いた、三山開設2周年オフ会のつづきです。

石川精舎→剣池(孝元天皇陵)→甘樫丘と進んでいます。

甘樫丘を登っていく途中に咲いてた白梅

歩いていると、こういう春の訪れを発見し、嬉しくなります。
みんな思い思いの角度から撮っていましたネ。(^-^)♪

甘樫丘展望台で休憩しました。風がきつかったです。
伏見さんが万葉歌を詠んでくれました。万葉の香りが漂いました。
そして向こう側(南)へ下り、広場のところで休憩しました。

トイレ休憩&自由時間。写真を撮ったり、あっちへ行ったりこっちへ行ったりするメンバー

みんな心おきなくオフを楽しんでいます。そんなアットホームな空気が好きなんです!(^o^)丿
歩く時もこの傾向があります。耳成隊長、ご苦労様!歩調は合わせるようにしますね。ゴメン!


甘樫丘の展望台と広場で休憩をとった後、菖蒲池古墳へと向かいました。

野口から西へ行く途中で見つけたタンポポ♪

ふと見ると、もうタンポポが咲いていました。
フワフワ綿帽子も一緒に!自然って不思議だ〜。

人ひとり分の幅しかない細くて狭い道を登って菖蒲池古墳に到着。
コンクリートの囲いにトタンのような屋根、金網の門に鍵がかけられていた。
今まで見たことのある古墳や御陵とは感じが違う。重みがない。☆\(^^;)コラ

登り口にの看板に『国指定文化財 昭和2年4月8日(橿原市教育委員会)』
と書いてあった。宮内庁管轄ではないんだ。所轄は橿原市になるのかな?

菖  蒲  池  古  墳


藤原京の朱雀大路と天武・持統天皇陵を結ぶ聖なるライン上に位置する。
特殊な家形石棺が二つ縦に並ぶ合葬墓であることなどからも注目される終末期古墳の一つ。
地形的には、北側に尾根が続き、南側に開けた斜面にある。
墳丘は、封土が流出し2枚の天井石が露出しており、形状はわかり難くなっている。 羨道(せんどう)部分が既に失われているが、南に開口する、両袖式(りょうそでしき)の横穴式石室を持つ方墳または円墳と考えられている。 築造は7世紀前半と推定されている。
玄室は、長さ約6m、幅2.4m、高さ2.5m。 花崗岩の巨石を 二段に積みあげて造り、石の隙間に漆喰を詰めた半切り石の構造。初めから石棺を二つ並べる計画で縦長に設計されているようだ。
石棺は刳抜式(くりぬきしき)家形石棺で、細部のデザインが少し異なっている。二つとも内側は最高級の作り。


金網の網目の間から写真を撮りました。水に景色が写ってきれいだなと思いました。
でもね、古墳なんですよね。これじゃ何だかわからない。(苦笑)
耳成さんの資料を元に、イメージを膨らませてください。
ワイドヒルさんが、わかりやすくまとめてらっしゃいますよ。

被葬者については、いろいろ候補があるようです。だって聖なるライン上!
古代に活躍した人物を当てはめて想定してみるも楽しいですね。(^-^)

次は菖蒲池古墳からさらに西、植山古墳へと歩きました。

植山古墳(河内飛鳥にある推古天皇陵の前の陵墓と考えられている)


東から延びる丘陵の南斜面をL字形に切り込んで、それを敷地にした平坦面に盛土で築かれた
方墳。東西約40m、南北約27m、墳丘高約3〜6m。東西と北側に周濠が巡らされ、北と西の濠
の底には吉野川流域から採取される結晶片緑石と飛鳥川流域の花崗岩の敷石あり。周濠幅を
含めると約55m。植山古墳の一番の特徴は双室。東西に二つの横穴式石室が並んでいる。

東石室はほぼ南に開口する両袖式石室で、全長約13m、玄室長6.5m、玄室幅3m、羨道長6.5m、羨道幅1.9m。石室内には熊本県宇土半島産の阿蘇溶桔凝灰岩で造られた刳抜式家形石棺が
残り、6つの縄かけ突起をもつ蓋は身から外れ、中央付近で二つに割れている。

西石室は南南東に開口する両袖式石室で、全長約13m、玄室長5.2m、玄室幅2.5m、羨道長7.8m、羨道幅2m。注目されたのは、竜山石(兵庫県高砂市産の凝灰岩)で作られた玄室と羨道を
仕切る閾(しきい)石の存在。

古墳の年代は石室の形態や若干の出土遺物から、東石室が6世紀末頃、西石室が7世紀前半頃とされている。被葬者については、推古天皇・竹田皇子の改葬前の陵墓とするのが有力。

このブルーシートが植山古墳です。遠くには畝傍山と二上山が見えます。
住宅地の一画にあり、地元の方の話では“子供の遊び場だった”そうです。
奈良って、あちこちに遺跡が眠っているんですよね。この足の下にも?とか。(ヘ。ヘ) 

その後、2ヶ所の神社へ立ち寄りました。
ここは何だったのか?と考えていましたが、みんなのレポを読んで思い出しました。
植山古墳から出てきた石を、階段のひとつに使っているのです。

八咫烏(やたがらす)大明神

八咫烏は神話に出てくる瑞鳥(ずいちょう:めでたい鳥)で、
日本サッカー協会のマークにも採用されたお馴染みの鳥。
この境内の奥の階段にも植山古墳から出た石が使われています。

そして最後の目的地、見瀬丸山古墳に到着!

見瀬丸山古墳(植山古墳から遠望)

古墳の丘に立ち充実感いっぱいのメンバー


植山古墳から真西の方向にある。全長約310m、前方部幅約210m、高さ約15m、
後円部径約150m、高さ約21mの前方後円墳。奈良県下で最大、全国でも6番目となる巨大古墳。前方後円墳が終息する6世紀後半にあって、その大きさは異常なほど巨大。

1991年、偶然墓室に入った人が撮影した内部の写真が公表され、コンピュータ画像解析による内部の詳しい計測が進められた。その結果、後円部にある横穴式石室は、石舞台古墳のものをはるかにこえる大きなもので、石材にしても石舞台の77トンといわれる天井石を超える100トン以上の石材が使われていた。石室全長28.4m(石舞台古墳20.5)、玄室長8.3m(同7.6)、玄室奥壁幅4.1m(同3.4)、羨道長20.1m(同12.9)、であることがわかっている。


♪小さな恋のメロディ(飛鳥版)♪

見瀬丸山古墳の近くで見かけた、微笑ましい風景。(∩.∩)
かわいいなぁ。二人の未来をちょっと想像・・・頑張れ〜!

耳成隊長の下、一味違った飛鳥を堪能し、気持ちは早や花林での宴会へと向かう。(^^:
岡寺まで歩き、そこから一駅電車で橿原神宮へ行くことになっていましたが、
予定の電車に乗り遅れそうなので橿原神宮駅まで歩き、ここで不良公達さんと合流。

笑いネコさんとPさんの車、yosioさんちの送迎車に分乗して花林へ向かう。
太古さんと私はPさんの車に乗っけてもらった。Pさんらしいピンクのかわいい車だった。
yosioさんちの送迎車は後発隊だったのに、現地到着は同時だった。さすが地元。

さぁさ、楽しい宴会だ!無農薬野菜のお鍋だよ。美味しかった〜!(^o^)丿
耳成さんから手作りの記念品が、ひとりひとりにプレゼントされ。
万葉花をあしらった卓上カレンダー、万葉集の歌と万葉花の栞、
そして素敵なメッセージが添えられていた。とても嬉しかった!ありがとう、耳成さん!!!

無農薬野菜の効果は翌日わかった。身体の中がすぅ〜っとスッキリした感じだった。
yosioさん、身体にやさしく美味しいお料理をありがとう〜!!!

ご一緒した皆さん、お世話になりました。楽しかったです。ありがとうー!!!<(_ _)> 

< あ  と  が  き >

説明文は、ほとんど耳成さんの資料からの抜粋です。家にある本とかも読んだけど、耳成さんの資料が一番わかり易いし、詳しい。忙しい時間の合間に、資料や記念品作り、大変だっただろうなと思います。現地下見もあるんだよね。頭が下がるなぁ。でも苦しいから頭、上げよう・・・。(^-^)大事にしますネ!

オフレポ提出はかなり遅れ気味でした。記憶が不確かだったので、皆さんのレポも参考にさせていただきました。自分がどれだけいい加減な人間かよくわかりました。もっとしっかり聞いとけばよかった。(反省)

久々に参加したオフ会は本当に楽しかった。久しぶりに会った仲間、初めて会う仲間。最初はちょっと気恥ずかしいけど、すぐ打ち解けてしまう。ずっと昔から友達だったみたいになる。ここのオフの魅力だ。

オフから数日後、ネット仲間のPさんのサイトがウィルスに感染した。ウィルス対策万全だったのに何故?!HPを持つものにとって、これは悲しく、腹立たしい出来事だ。本人のコメントを読むと、“情けない”という言葉があった。それがピッタリなのかも知れない。でも浪花女Pさんは復活した!頑張れ〜Pさん!みんなPさんのHPのファンだからね。d(>_・ )グッ!

その後、今度は耳成さんちの掲示板がハッカーにやられた。掲示板のハッカーや愉快犯が今、あちこちを荒らしてる。どうして素直にネットを楽しまないのか?耳成さん、負けないで!仲間がいるからね。(^o^)丿

ネットの楽しさ、HP運営の難しさを感じる今日このごろ。オフレポはこれでおしまいです。

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